2024 11,27 11:25 |
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2010 08,18 15:12 |
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今年の暑さには、淀川花火大会は夏の風物詩にピッタリである。
花火弁当を用意してビールクーラーを下げて、午後5時頃に家を出る。 JR海老江駅より淀川に向かう。 最近は若い世代の浴衣姿が多くなっている。 ファッションなのか日本的なのか、何れにしても情緒があって良いものだ。 午後6時を過ぎると少し涼しくなると思うが、既に土手沿いや河川敷に見物人がビッシリ約50万人来ているという。 淀川沿いの風も熱気を感じる。 歩くこと30分位、何時もの場所であるJR東海道線の鉄橋下で席を取る。 場所を確保して、お楽しみの弁当を広げビールを飲む。 汗ばんだ体に冷たいビール、 夕暮れの河川敷で頂く弁当もまた格別旨い。 7時半を過ぎて暗くなり、心地よい酔いと淀川の夕涼みに浸っていると、花火が始まった。 いきなり始まる連発花火で一瞬見とれてしまった。 花火師の粋な挨拶代わりなのか、約1時間に亘り夜空を焦がし大輪の花を咲かせる花火。 ラストシーンは子どもの頃に感じた夢と希望が走馬灯のように浮かぶ。 還暦近くなっても夢と希望を持ち続けたいと思うような素晴らしい花火大会でした。 PR |
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2010 08,16 15:07 |
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今日も暑い大阪は36度の気温になると言う。
涼しい処は何処かと考えた。 京都の貴船川床がいいと思いつき、早速京都に向かった。 京都出町柳駅で乗り換えする。 クソ暑い日曜日の午後10時で叡山鉄道の電車は満員。 考えることは皆同じなのか鞍馬駅まで30分、私たちは一つ手前の貴船口駅に降りる。 そこから30分位川上に向かって歩く。 今年の7月によく雨が降ったので川の水量はかなり多く、川沿いを歩くだけでも涼しい。 ようやく木船の川床料理屋が見えてきた。 昼に少し早いのかお客はまばら、でも予約をしていないので空いてる時間に入らないと直ぐに満席となる。 昼から10,000円の懐石料理は重いので、適当な店を探す。 お店の前で年季の入ったおばさんが客引きをしている。 お店は「鳥居」。 「お手軽弁当3,000円、今なら空いてますよ」の声で店に入る。 川べりより階段で少し降りて、木で組んだ川床の座敷に案内される。 床の下はこんこんと流れる清流。 やっぱり涼しい汗が引いたら寒いくらいだ。 清流と鞍馬山の緑で包まれた自然の中で味わう料理もまた情緒があっていいものだ。 汗びっしょりの一日でした。 |
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2010 08,05 15:03 |
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愛媛での2日目の日曜日。
ホテル道後温泉に泊まった。 夕食はバイキングスタイルで、温泉宿としての情緒がないが、自分の好きなものが食べられるので、割り切って楽しめばそれなりに満足するものだ。 本日のメインイベントは、マイントピア別子である。 聞いたことのない観光地だが、“東洋のマチュピチュ”と言われている。 場所は愛媛の新居浜より山側に入った処に端出場(はてば)地区がある。そこでマイクロバスに乗り換えて山道を20分位登った標高750m位に別子銅山の遺跡がある。 別子銅山の東平(とうなる)地区は、古くは元禄時代に銅鉱石を発見して泉屋(今の住友)が幕府より採掘をゆるされ採掘がはじまった由緒ある銅山である。 明治20年より本格的に採掘がはじまり、大正5年から昭和5年頃の全盛期には人口3800人の町が造られていたと言う。 今の自動車道が出来る前は、山の麓より歩いて2時間ほどの山の上を切り開き、学校、病院、娯楽施設、採鉱本部、精錬場、そして山の斜面には社宅があったと言う。 今はその面影と石積みの跡が残っている。 煉瓦で造った貯鉱庫の跡はまさに東洋のマチュピチュに相応しい。 別子銅山は昭和43年で閉山となり280年間、一社で続けてきた住友の凄いと思った。 |
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2010 08,02 14:59 |
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土曜日、
久しぶりに旅行で朝8時に梅田茶屋町のバスターミナルに行く。 バスは愛媛に向けて出発。 運が良いのか座席は一番前で、天気も良い2日間の旅である。 中国道を走り、10年ぶりの瀬戸大橋を渡り気分は最高。 バスは四国高松に入りひたすら松山自動車道を走り、 石鎚山スカイウェーで昼食を摂る。 讃岐ではないが、四国では「うどん」は食べるべし。 安くて旨かった。 昼食が終わると、バスは伊予に向かって走る。 伊予インターを降りて、海岸線「通称、夕やけ小やけロード」で宇和島方面に向かって走る。 途中、ふたみ海水浴場の道の駅で休憩する。 青い海に白い浜、真夏の太陽にエネルギーを感じた。 海が大好きだった子供の頃を思い出して懐かしく思った。 再びバスに乗り、ふたみ海岸の少し山手の、JR伊予上灘駅に着く。 下灘駅までの列車の旅。 一両の編成ローカル電車に乗り込み海岸線を走る。 10分もすると下灘駅。 ここが日本で一番海に近い駅といってテレビや雑誌に紹介された話題の駅である。 駅を降りると何もないが一面が真っ青な海と空、素晴らしい眺めである。 日ごろの疲れや煩わしさなんかを全て忘れさせてくれる景色。 今日ここに居るだけで幸せな気分であった。 |
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2010 06,30 14:56 |
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6月27日の日曜日、
昨日までの豪雨のような雨が上がり、まずまずの天気。 梅雨の晴れ間でムシムシするが暇な日曜日になったので堺の街を散策することにした。 南海七道駅からスタートした。 戦国時代の堺は日本一の鉄砲生産地で有り、鍛冶屋敷を見学して、江戸時代の町屋である山口家住宅 ~ 本願寺堺別院 ~ 堺の刃物会館 ~ 与謝野晶子生誕地 ~ それから期待していた千利休屋敷跡は期待外れの史跡でした。 昼頃となり宿院の蕎麦屋「ちく満」に入る。 この地で400年の老舗の蕎麦屋である。 蕎麦屋のお店としての建物の雰囲気はなく、ただ古いだけの店のような気がする。 しかし1階は満席、2階の席もそこそこお客が入っている。 蕎麦一斤半(1000円)を注文した。 暫くすると、蓋つきのセイロに入って出てきた。 卵をといで薬味を入れ、銚子に入ったかなり濃いダシを合わせる。 それからセイロの蓋を取り、蒸したての蕎麦を付け汁で食べる。 麺は柔らかく、すする感じではなく食べる感じである。 私は関東の堅い蕎麦よりもズルズルと啜って数回噛んで飲み込む関西の柔らかめの蕎麦が好きだが、ここまで柔らかいのも蕎麦を食べている気がしない。 400年も繁盛店で営業しているのが不思議でならない。 それから堺の名寺、南宗寺に行き、千利休の墓や伝説の徳川家康の墓を見学し、仁徳稜古墳がある百舌鳥駅まで散策してゴールとした。 |
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